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the sankhwa
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01 study#1 2018
「行く。」

SPRING

奈良
吉野

writing by 金子健太
photograph by 三田周

2018年、メンバー脱退を機に新しいアーティスト写真を撮影する必要があった。当時はあまり頻繁にライブをするような活動的な雰囲気はなくどちらかというと制作に重きを置いていた。とにかくバンド名の由来が山の民、山窩からきているわけなので、いつもの様に屋外で撮影する流れとなった。

「時間あるし四季毎にアーティスト写真を変えるのどう?」と僕が提案した事が『スタディ』の始まり。玉田がそこを掘り下げて「四季とはなんぞや」という僕らの生活の中に当たり前にある日々の流れを、アーティスト写真撮影の模様を通して写真家の三田氏に納めてもらい、一緒に感じに行こうぜ、とこの企画を進めていく事となった。

春編に選んだのは奈良県吉野の千本桜。関西有数の桜の名所だ。早朝に現地に到着したはよいが観光地なので既に人で溢れていた。見事に読みを外し、撮影出来るか先行き不安なスタートとなった。

少し山道を登りはじめると古い家屋の茶屋や土産屋があった。どの店も早朝にも関わらず店を開けている。その中の一軒の茶屋で桜の花びらが浮かんだ温かいお茶と餅をいただいた。

まだ気温が上がりきる前の春の山の空気と日差しも相まって、観光気分になったのは自分だけじゃないはず。店の窓から眺めた吉野山の景色は確かに素晴らしく、ここに来ないと見られない特別なものと実感した。みんな家にいるだけでは得られない感動を求めているんだなと思ったが、僕はそれよりも家が恋しい気持ちがあった。僕はホームシックの気があるので少し損だと思う。

その後、当初の目的である満開の桜を目指してメンバーは更に山道を行く。しかし寒暖差の影響で桜は山の入り口にしか咲いておらず、山頂付近はまだ芽吹いたばかりでこれから咲き始めるような感じだった。自然を相手に何かをしようとした時、思い通りにいく訳はない事を思い知った。ましてやたった1日では尚更だ。これがただの観光なら当然そういうこともあるしそれもまた良いかもなと思えるが、今日はバンドのビジュアルを決める大事なアーティスト写真撮影の日で、そう簡単に割り切ることはできなかった。

結局、その後も良さげなロケーションでいくつか撮影したが、思い描いていた写真になっているかわからない微妙な撮れ高だった。今から桜が急に咲くわけでもないので、切りの良いところで解散かと思いきや、玉田の「せっかく来たから山頂まで登ろう」の一言で思いがけず登山タイムへ。

登るにつれて山の空気が少しずつ変わっていくのを感じる。肌寒い。人も少なくなりさっきまでの観光地の雰囲気とは明らかに違い、何だか高揚している自分に気付く。この気持ちの出所はある幼少期の記憶に繋がった。

小学生の頃、僕は少年野球チームに所属していた。そのチームの冬の恒例行事で、早朝から小学校をスタートし何時間もかけて大阪の箕面市にある勝尾寺まで徒歩で向かい雑煮だか豚汁を食べるというものがあった。その感じと似ていたのだ。ふとした瞬間に昔の事がすぎる現象は嫌いじゃない。今では考えられないシゴキを受けて良い思い出なんて殆どないに等しい少年野球時代だが、今みんなと歩いている瞬間とその頃を重ねられる事はきっと幸せなんだと思う。

「夜のピクニック」という高校生が学校の伝統行事で夜通し何十㎞も歩く青春映画があったと思うが、長時間歩くという行為は個を見つめ直すことに直結し色々と整理できるのだろう。お遍路とかもそう。そのようなものに、僕はある種の高揚を覚えるのである。

話は逸れたが、どんどんと山を登っていくと何故か木々が伐採されたエリアがあり、そこには虫がたくさん飛んでいた。更に登ると吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)という神社があり、お参りをすることに。「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰され、豊臣秀吉もこの地を訪れて祈願し、子の秀頼を授かったそうだ。山中に佇む神社は異彩を放っており、単純に建造物として惹きつけられる魅力があった。当たり前だが、寺や神社に来ると口数が減る。僕は落ち着くとも違う、静かな気持ちになり、ここで冬を過ごしたらどんな気分になるだろうと想像していた。その後、山田がどこで拾って来たのか、杖代わりに丁度良い枝を使い傾斜を登っていて楽しそうだった。

その後更に登り、吉野山の頂上に建つ金峯神社(きんぷじんじゃ)までたどり着いた。神社の入口にはバス停が建っており、なんと麓までの直通便が通っていた。これに乗って下山するかどうかの議論が行われたが、せっかくここまで来たのだからということで徒歩で下山することとなった。

下山すると昼を過ぎており、祭りが行われていた。そこには最早春の陽気はなく人々の熱気が凄かった。途中からアーティスト写真の撮影の記録というより旅を記録しているようなものになった春編だが、これがその後のスタディの原型になったのは間違いないし、これがバンドの活動というのも面白いなと思っている。

金子 健太 (かねこ けんた)
大阪府出身。1986年8月31日生まれ。幼い頃を兵庫県と滋賀県で過ごす。バンドではボーカルとギターを担当。好きな季節は夏。ホラー映画と野球と古着と料理が好き。#1では特に靴の重要性を学んだ。季節の移り変わりには敏感だと思っていたが、改めて意識してみるとわかった気になっていた自分に気付いた。

●① seaonthkw2dアルバム『』について②bx音源と印刷物のデータをスポンジ詰め込みました。③uyS作るきっかけな、3年間課外活動記録は四季テマ「」(全1曲)リ楽各種トミグサビで配信す高質や制わ冊子含むも併せ販売08ら3渡名付フィドワク並行こされ私ちござ土地赴食材調理べ演奏うよがど知ろそ中生:Plm54Lp96Cr7Gic遠船MAfYTINEUzFROv/(カ)結成明治以前日本存在服ぬ民山窩語繊細綴詞器心良響ブ探求ロッ自足運び体験大切gW上ほコツD媒ん代試歌レ用セ様々Q角挟イ編集ソ取りニプ機使おくだ形変え続現何へ憧持鑑賞者身近置愛家思価格:¥,+税/ズ×個差あ属素ェチウオラボ紙購入内容→←.H拡張ハゾパ再可能じ封ォピ仕組読予約必要・ァ場合店舗金方注意布禁止当第三直接的被害我責任負ね了承不点問@先移版利継ダ起開左下共有設定モ時選択ょ小登文章ぶ好二枚一両面短辺出力半分折ペ順重完!ホキ紐留線部絵柄壁貼#1替写真撮影為訪見聞深気芋掘鹿解雪奥独唱至僕達目会数多増情報量追ばず未捉流興味惹づ月費論始メ脱退新白考毎提案元ぞ通田周氏抜粋事感所実際今後少話進果回掛度越化初次関副得緩識企画投#冬ヒ旬採決普段立位同業束強疲終膨充限膠着状態突如到来ナ禍厳況曾緊急宣言発令ゆ番露収纏品群宅待長花祭等節滋賀琵琶湖阪泉館西兵庫砥峰原ヘ村ネ奈吉野和浜京都宝ヶ池公園剛春夏秋述対複雑伴離確無表特典連交換違故異冒頭簡単寧義旅軽健太頻繁雰囲由屋?玉げ模納緒ぜ県千桜早朝観光既人溢測誤安道古茶産軒浮温餅空相ゃ窓眺景色晴別恋シ損満指更寒暖口咲頂芽吹然手訳尚ュ割局ケョ描微妙散肌揚幼期憶繋学頃球恒例校箕市勝尾寺徒歩向煮豚汁似ふ瞬昔過ぎ象嫌ゴ受殆幸夜伝統十㎞青映整遍路覚逸木伐エ虫飛水神社参守呼授仰豊臣秀祈願頼佇彩放純建造魅減落静想像拾杖丁枝傾斜峯ぷ停麓便乗議昼最陽熱凄途型府ギ担料靴性敏改平南伸砂眩海書看板紀伊島昇帰照返車降鼻刺匂紫焼境雲午遮蔽溶暑反射踊波打寄男4訝客昂他防堤磯喧騒緑ャ捨転潮風錆欠崖鳶鳴声捕側策郎休憩姿図奇絶峡渓谷川馴染嬉腹拵鮮刀鮪包滑肉裂職矢説背締噛脂値骨買巨岩沿走撤去避透涼夕暮漂耳喜蝉隙滝撹拌草王祀根挨拶済赤滲怖世片鱗触ぐ派侘寂聴ゼ廻広育漫町洋X紅葉区環酔払比叡借遊計敵飽ベ座瓶捗住鳥笛怒農溜湧堰工這苦松崎銅暦諸北幾澄肝程洗礼残念ひ顔邪鞍馬禎藤勢夢霊告尋女鬼襲殺枯倒翌毘沙門天菩薩従堂怪晩童創断台壊勉丑刻狗裏戦随国規吊橋星族賑徹恐症余裕丈夫岸覇繰克装察望綺麗遥江哲也積滅域駅駐符搭久跡彼底革ぴ腰坂灯籠箇死堪笑誰供仏酒飲階法輪ぽ脇石柱晶粧美拝皆引危横冷迷慢湯剥蓋箸穴ぼ麺却視界老若犬覆幻葛息庭尻慌腕悟辿鍋鮭炊飯鰤奮昆鱈菜菊葱沢癖免許加構諾躍詳蕨遅経難悩魚偏漢字勘低尖鋭歯覗狭訛嘘係漁獲釣ノ匹佐協B扱狙㎝醸泡徳刃唐塩丼捌認応硬臓血卵嚢胃袋破端脳蓄貌極2失敗握卒卓駄揃華遽招醤油非常旨黄ユ淡衣鈍眠釜睡甲氷炎首詩六唯百郡瀬宮羽皇御蒸鈴魔除厄祖母舎汲支羨列貴零杯只圏髪沸騰凍兼火薬葡萄桃役茄万辛浸補助皮茹ぱぁ電主催準備梱預胸暇干題練習織答即正式密5員河施征慣抵巻般疎臨振畑胞献炒暫6争奪研軍五黙歓称仲穫抱稚忘鹸困惑伺膚茂ゲ植絡侵攻撃抗吸班戻泥猛厨房教豪拍団欒弾輩円椅寝帯ヤ擦狩猟〝”揺速徐丹林牧畜築給髭師迎吐棟鴨餌具勾米率9稲殖基賄銃保管倉歳児漬嘆候筋務薪炉室柔歴傷獣闘飾談藹焦黒沈腸排泄官糞臭隣槽濁肺隔膜ヨ械縄効技術史毛斑示剣鬱貫省届噌製香衝塗泣消櫃勧条是戯究痛肋希舌ザ捻掲廃棄呟総括褒互恥荷眼…ぉ類脈霧送命鶏牛薄友舞週末商致益権著肖財誹謗序俗紛訴訟賠償請稿+某蔵慨 盛K層扉井毒搬喋叩勤申導塞摘盤処呂崩労巡恵謝酷弦焚仮判潰己善幅障朽居適証堵還啜頬兄缶婦営介皿抑獄八倍席優雅圧昭7遭修繕ガ漏街暗袖揉悪右苛航叫悔挑紳士逆易件挙快妻趣尽遣添衛清森杞憂峠湿汗較親偶稜隠癒鍵迫弱東誕旧姉妹芸敦鼓8号働贈濃厚耐絞凸凹弓陰痍鮎将